ゼノンザード5周年おめでとうございます。5年!?!?!?
本記事は夏休みの自由研究として準備していたのですが、結局書きすぎて9月に突入してしまいましたので、周年おめでとうレポートと言い張って提出します。
なんかカレンダーを見るともう10月です。あれ?
年末だね! もう書き上げたことが奇跡だよ
新年あけましておめでとうございます!!2025年もべーると AIカードダスゼノンザードをよろしくお願いいたします!!!
はじめに
ゲーム内に実装されたヒナリアのメインストーリー第3章のタイトルは『隠者と愚者』。この意味するところについては、思い出したときにぼんやりと考え続けてきました。
さて、ゼノンザードの世界ではまさに『タロット』と呼ばれるキーアイテムが登場するように、
大アルカナがストーリーのモチーフとして採用されていることは想像に難くありません。
ゼノンザードサービス開始より前に配信されていた コミカライズ版では、シャーロットのエピソード内にタロットカードが映っていますし、
アニメ1話ではウェイト版タロットと思しきカードを使って、魔女リメルが占いをしています。
ゲーム内のストーリー本編では、タロットタロットとは言いながらも具体的なカードはほとんど出てきません。
その中ではっきりと大アルカナ要素を出してきたなと感じたのが、このヒナリア3章です。
おかしな話ですが、ここ数年間、タロットカードおよび大アルカナの要素を含んだゲームにたいへん恵まれています。
そもそも日本人の好むモチーフとしてタロットカードは繰り返し創作物に使用されてきたわけですが、
ゲームで取り上げるべきはペルソナシリーズとファイアーエムブレム風花雪月でしょう。
この2作品につきましては、既に多くの方に知られているだろうこちらのブログの著者さまが、機知に富んだ考察・解説を発表されています。
あとは、個人的には消滅都市も挙げたいところです。
この終わるところを知らないタロットブームにゼノンザードくんも乗り込んだわけですが、どうも、「作者そこまで考えてないと思うよ」案件で片づけるには惜しい、上手く要素を物語に落とし込んだ箇所があるので、
この世界に遺された数少ないゼノンザードファンとして、書ける考察は書いて成仏したいなという思いから記事の筆を執った次第。
そもそもゼノンザードのストーリーは、メインライターか公開されていません。おそらくおおよその筋書きを共有したのち、コードマンごとに複数のライターさまが執筆しているのではと拝察します。
ストーリー原案と世界観の設定については、上遠野浩平大先生が担当していることは公開されています。近未来の科学と、そこに蘇る中世魔術というのは間違いなく上遠野先生のエッセンスです。おそらくタロットカードを絡めるというのも、この時点で確定していたのではないかと思います。
ただしゼノンザードストーリー内における『タロット』と、現実にあるタロットカードはちょっと成り立ちが異なっていて、
前者は中世の時代に魔女が生み出した術式という設定であることが明言されています。
ストーリー内『タロット』の成り立ちや構造については、シャーロットのストーリーに詳しいのでそちらを参照いただくとして(いつか考察できればいいな)、
そうはいっても明らかに現実におけるタロットモチーフじゃんかよ!というところに触れたい。オタクだから。
そういうわけでヒナリアとヨルスケに関する考察です。何かと魔女絡みで出番の多いふたりです。
本記事の目的を簡単に示すと『隠者と愚者、どっちがヒナリアでどっちがヨルスケなの?』という疑問を、タロットカードの解釈から説明することです。
註)主として大アルカナのタロットカードには『ウェイト(ライダー)版』『マルセイユ版』の2種類があります。
大きな違いとしては、順番が入れ替わっているカードがあること、カードの意匠が異なるものがあることなどが挙げられます。
本記事ではさしあたりウェイト版に基づいて考察を行います。
理由はゼノンザード本シナリオでも重要な「愚者」のカードについて、ウェイト版では「0」の番号が与えられているためです(マルセイユ版には番号が振られておらず、ナンバリングは「1.魔術師」から始まります)。
あとは前述アニメ版に出てくるタロットカードの意匠が、ウェイト版をモデルにしているためです。
※ただし筆者はタロットカードについてドドドド素人なので、記述の正確さや学術的な根拠については挙げることができません。なにとぞご勘弁ください。何かまずいことを書いておりましたらご指摘いただけますと幸いです。
考察は前半をヒナリア編、後半をヨルスケ編としてまとめています。
(本当は1本にまとめる予定だったのですが、書きあがるの待ってると一生投稿できない気がしたので…)
大アルカナ「0.愚者」と「9.隠者」
大アルカナについて
ふたりの旅路に踏み込む前提として、まずは大アルカナの解釈そのものに触れておかねばなりません。
とはいいつつ、このへんの解釈はググれば識者の解説が山と出てくるので、素人である筆者が取り立てて触れることはしません。
前提の共有のため、あらましだけ確認しておきましょう。
そもそもタロットカードは中世ヨーロッパで発祥し、長くカードゲームや占い道具として用いられました。特に有名な「大アルカナ」のほかに、56枚の「小アルカナ」が存在します。大アルカナは小アルカナよりも、さらに強力な概念を示し、およそこの世界を構成する要素として重要なものが擬人化/図示されていると捉えられます。
さてこの大アルカナは、「0 愚者」から「21 世界」までで構成されます。この0~21までの一周は、単にカードを順番に並べるわけではなく、世界や人生の流れを解釈するひとつの物語として理解されることがあります。
そのなかの有力なひとつとして、「大アルカナとは、『0 愚者』が出発し、苦難を乗り越え、成長し、『21 世界』へと至り次の過程へと再び進む旅路を示したものである」という考え方があります。
従って、大アルカナの最初とも最後とも、あるいは数字を持たないワイルドカードともとられる愚者は、非常に重要なカードです。
0 愚者(THE FOOL)
旅路の主人公、「愚者」のカードです。細かい意匠の解釈などはより詳しい記事に譲りますが、本記事で特に注目したいのは、このカードに表される人物が「若く、まだ何者でもない」という点です。
このカード、実に様々な理由から大アルカナの中でも特別視されています。
占い的な要素だと、キーワードに上がるのは「自由」「無謀」「可能性」といった言葉の数々です。
また、「愚者=The Fool」の単語から連想されるように、このカードはしばしば「愚か者」「道化」「トリックスター」としての役割が与えられることがあります。トランプで言うところの「切り札=ジョーカー」としての性格ですね。このへんはペルソナシリーズに強く反映されているように思います。
9 隠者(THE HERMIT)
対する「隠者」のカードです。愚者の旅における9番目に位置するこのカードが司るのはずばり「自己探求」です。
占い時のキーワードとしては「深い思慮」「理想の追求」のような、知識と経験を蓄えたうえで内なる世界に目を向ける要素が強くなります。
またhermitの語に表されるように、これらは俗世との隔絶を意味しています。
タロットカードに描かれているのは老人です。左を向いていますが、これはどちらかというと過去を印象付けるものです。
ウェイト版「愚者」と「隠者」の対照性
さてこの「0 愚者」と「9 隠者」、ウェイト版タロットではしばしば対照性を持ったカードであるとして解釈されます。
というのも、隠者の次に待ち構える「10 運命の輪」は、旅路の転換点として一つの区切りとなり、愚者は隠者として一つの終着点を迎えるためです。(たぶん)
ウェイト版「愚者」と「隠者」は、絵柄そのものについても分かりやすく対照的であるとされます。
「愚者」は荷物の柄、「隠者」は杖と、両者とも棒状のものを持っています。また「隠者」のフードが、道化≒愚者を連想させるとして、描かれている人物が同じ旅程にあるというとらえ方があります。
絵柄に注目してみましょう。まず「愚者」が朝or昼間に旅立っているのに対し、「隠者」のカードで描かれているのは夜です。
「愚者」が顔を上げ、空を仰ぎながら歩みを進めている(そのため足元の崖に気づいていない)のに対し、「隠者」は俯き、足元をカンテラで照らしています。
「愚者」には足元に注意を促す小動物という他者の存在があるのに対し、「隠者」は独りきりです。
そして「愚者」のカードで遠くに見えている氷の山脈、これが恐らく、「隠者」が立っている場所でしょうか。
なんとなく絵柄を眺めただけで、これだけの対照性を見出すことができます。
理想を司る「愚者」と、現実を司る「隠者」。
無邪気で自由な「愚者」と、思慮と内省を重んじる「隠者」。
2つのカードは相反する要素を持っていながら「同じ」なのです。おもしれ~。
ヒナリア3章タイトル考察:「隠者」と「愚者」とは誰なのか?
さて、ようやく本筋に戻ってきて、ヒナリア第3章タイトルの考察です。
ここまで述べていたように、強い対照性と同一性を兼ね備えた「愚者」と「隠者」のカードが、ヒナリアの章タイトルに採用されている事実は、ヒナリアたちの深層を考察するうえでたいへん重要な手掛かりになると考えられます。
ヒナリア3章本編はこちらから。(なるべく再生数回してあげたいのでよかったら見てね)
本編の内容を読んでいる前提で進めてまいりますので、ヒナちゃんと契約していない方は公式からの動画をご確認いただけますと幸いです。
ストーリーの内容的に、この『隠者と愚者』に当てはまるペアの組み合わせは、
- ヒナリアとヨルスケ
- ヒナリアの頭の中の魔女(=リメル)とヒナリア
となりそうですが、話の流れ的に前者と判断して良いでしょう。
リメルは既に故人であり、ヒナリアとの結びつきについては4章以降より強く述べられるわけで、章タイトルでこの2人をピックアップすることには違和感があります。
じゃあ、どっちがどっちなんだ? となるわけです。
順番的にはヒナリアが愚者? でもヒナリアはフードを被っているし、引きこもりだから何となく隠者っぽい…… じゃあヨルスケが愚者なのか? 確かにヨルスケはピエロっぽいデザインがされているし……うーん。
もう先に結論を出してしまいますが、
本記事では「愚者」に対応するのがヒナリア、「隠者」に対応するのがヨルスケであると解釈します。
そうなると ヒナリアのストーリーなのに「隠者と愚者」で、ヒナリアが後ろに来るけれど良いのかな?というメタ的なアレが発生しますが、
そのへんは ランバーン3章「犬と咎人」があるので通るかな、という論です。
なぜこういう結論になったのか? 以下に筆者の考えたことをぼんやり列挙してまいります。
作者そこまで考えてないよはもうしばらくお待ちください。ぼくもそう思ってるから……
『愚者』ヒナリアの旅路
我思う故に我あり:持たざる者ヒナリア
ではヒナぴよのどのへんが「0 愚者」なのか。正直、コンコードの皆様であれば、先ほどのタロットカードの説明を理解すれば、おおよそ言いたいことは伝わっているような気がします。
ヨルスケ:
君は元々、特別な能力もない 量産型のAIで……
そして今も、何も持っていない
AIのままでも コードマンになっても 君の価値は変わらない
どちらにせよ、落伍者さ
(ヒナリア第3章第5話)
まさにヒナリア3章でヨルスケが行う指摘になります。
正直この現実を、既に藝人として名声を得ているヨルスケがヒナリアに突きつける事実は非常に残酷です。
ヒナリアは、記憶を無くしたピモタを除けば、コードマンで唯一 ストーリー開始時で「何者でもない」キャラクターです。
ミーナ:
コードマンとは通常 何かの特化プログラム出身AI の進化した姿です
ですが ヒナリアさんの場合なんの プログラム出身なのか よくわかっていなくて……
ご自身でもお分かりに ならないというのは かなり異例なことなんです
(ヒナリア プロローグ)
量産型AIがいきなりコードマン化する例はそれなりにあると推察されます。代表格が、唯一無二のアイドルとなったノノインでしょう。
それでも「自分が何を専らとするAIなのか」というのはだいたいどのAIも理解しています。ヒナリアはそれすら分からなかったことになります。
本人にとっても突然のことだった。
ある時いきなり目覚めた、というような感覚。
往来に立ち尽くしているのは、粗末な機械の身体。
記憶も目的も何もなく、明敏な思考と意識だけがある。
「自分」は一体何なのか。
降って湧いた自我に彼女が困り果てていると、何処からともなく現れた人間達が彼女を捕獲し連れ去ってしまった。(ゼノンザード公式サイト「STORY」ヒナリア 解説/5章以降の展開 )
ここで自分の名前すら分からないヒナリアをヒナリアたらしめていたのは何なのか?
それこそ上記引用でいうところの「降って湧いた自我」、
つまり「よく分からないけれど、自分は今ここにいる。なぜ?」という、綾波レイじみた疑問です。
今から彼女が歩む旅路において、この「なぜ?」こそが大事なのです。
インターネッツの海を泳ぐ
今ここに存在する「自分」を認識したヒナリア。
そこから自分の使命を探るための、輝きに満ちた旅に出発する……ことはできませんでした。
自分の役割すら認識しておらず、何をやらせても誰か以下の成果しか上げられなかったヒナリアは、ビホルダーから、社会から、「落ちこぼれ」の烙印を押されてしまうのです。
結果としてヒナリアは旅に出るどころか、ボロアパートの一室に引きこもり続けるニートAIとなりました。朝から晩までネトゲ三昧です。えっ、全然旅路の主人公たる「愚者」じゃなくない?
ここでヒナぴよのこの状態を、「愚者」のあるべき位置と反転した逆位置であると考えると辻褄が合います。
各種タロットカード占いにおける「愚者」の逆位置は、社会性の欠如や計画性のなさ、落ちこぼれや逃避を暗示します。
ヒナリアは自己探求の旅に出る前に躓いてしまっているわけです。
といいつつ、「愚者」らしさも残っています。
(ゼノンザードコミカライズより https://comic-walker.com/detail/KC_002362_S/episodes/KC_0023620000400011_E?episodeType=first)
めちゃくちゃネット弁慶なヒナぴよ。
本人の口から語られるように、インターネットであれば彼女は「何者にもなれる」のです。これはヨルスケが「演じる」ことで他者となるのとは別の意味での変身です。
ヒナリアは単に無気力なのではなく、自身の能力を示し、他者から評価されたいという、素直な欲求も持ち合わせています。
当然、まだ何者でもないがゆえにヒナリアの未来は可能性で満ち溢れているのですが、世界から評価されなかったが故に彼女自身がその道行きを閉ざしています。
あるいは、ビホルダーによる管理という要素も、彼女の旅が始まらない理由になるでしょう。生命とは振る舞い、生きることとは旅をすること、そして管理がもたらすのは停滞です。(参考:メギド72)
ゆえにヒナリアは、身体にリメルを宿しているという特徴を抜きにしても、ワイルドカード=愚者としての資格を有していることになるのです。
太陽が燦々と降り注ぐ愚者のカードに、太陽疲れするから外に出たくないとイヤイヤをするヒナリアがあてられているのは、こういった正/逆の位置関係をもとに考えると納得がいくかと思います。
愚者の出立
逆位置の「愚者」たるヒナリアが魂の旅路へと足を踏み出すためには、コンコードとの出会いを待たねばならない訳です。
「0 愚者」のカードでは、旅をする愚者の足元に白い犬が駆け寄っています。この犬はただ旅人に連れ立っているだけではなく、旅人が空を仰いでいるせいで気づいていない、足元の崖に警告するという役割があります。
ストーリー開始前にはヒナリアは確かに孤独だったのでしょうが、本編が始まると、ヒナリアの傍には必ず何かしらの形でサポーターが存在します。
それが自我が生まれる前からヒナリアの中にいたリメル、そして後に出会うコンコードです。
もっともリメルに対して、最初ヒナリアは強い拒絶を示していました。リメルはある意味でヒナリア自身のうちの一部であり、自己探求を拒否した「逆位置」のヒナリアでは、リメルに向き合うことが出来なかったからでしょう。
ただし、コンコードとの出会いを経て、自分の道行きについて真剣に考え始めるようになったヒナリアは、自分のうちに在る隠れた守護者であるリメルへも向き合っていくこととなります。
5章ではヒナリアがリメルを失うことが公式サイトで明言されていましたが、ヒナリアには今やコンコードというもう一人のサポーターがいるために、目の前の崖も恐れず歩みを止めずいいられるわけです。
ヒナリアは本編の中で、けっこうな数のキャラクターと邂逅を果たします。
コードマンたちはそれぞれに、それぞれなりの道行きで自身と魔女を巡る旅に出ていると考えられるわけですが、
それはヒナリアが「己とは何か」を考えるための道行きに必要な過程でもあります。
愚者の魂の旅は、おおよそ前半と後半のステージに分けることが出来ます。
0番の愚者を除いて、サイクルの半分に当たる「10 運命の輪」を境として、前半を「物質の旅」、後半を「精神の旅」としましょう。
前半部「物質の旅」では、愚者が物理的に成長する過程を描きます。タロット1~9までを自己成長の過程として読み解くことが出来ますが(詳しいことはググってね)、ヒナリアは旅の前半部について「ザ・ゼノンで勝つ」という目標をもって歩むことになるわけです。
ゼノンザード存命中に公開された4章までは、この旅の前半部に位置すると考えられます。つまり、ヒナリアの歩む動機に変化が現れるのが、本記事で考察している3~4章になると考えられるのです。きっかけが3章、決断が4章となります。
ヒナリア:
ニートが何やる気出してんだって
思うかも知んねーけど……
ヒナは、もっと 自分の事知りたいんだ
(ゼノンザード公式サイト「STORY」ヒナリア)
ヒナリアがヨルスケと深く交わることになる3章で、ヒナリアの魂の旅はいったん山場を迎えるわけです。
後に詳しく触れますが、旅路の前半折り返し部分で出会う「9 隠者」は、この物質の旅の最終ステージに在ります。
3章を通して「9 隠者」との邂逅を終え、4章にて「自分が何者であるか」を探求する決意を済ませたヒナリアが至る場所、それが、
「10 運命の輪」こと観覧車デートってワケです。(どーん)
まあWDLデートは冗談として(面白い一致ではあるんですが)、
今後のヒナリアの道行きとしては、ザ・ゼノンに身を投じ勝ちを重ねていく「物質的な旅」から、
魔女という自身のルーツを探り、これからどう生きていくかを模索する「精神の旅」に入ることが考えられるわけです。
そして、ゼノンザードの世界ではそれが 魔女ゼートレートとの対話に繋がっていきます。
これが「Darkend」=夜闇の終わり、すなわち暁を名に冠するヒナリアの旅路です。
ところで
このヒナリア第3章、最後の最後で大問題のシーンがあります。
ヨルスケが去り、残されたヒナリア・ピモタ・【プレイヤー】は、リメルの力なしに「魔女の家」の中でタロットカードを捜索します。
そしてついにヒナリアが壺の中から自力で1枚を見つけ出すのですが、その際の台詞がこちら。
ヒナリア:
これ 『魔王』のタロットカードだ
(中略)
魔王は 勇者に負けて当然の存在……
……だけど魔王だって 一度は勝ってみたいよ……
(ヒナリア第3章第5.5話)
えっ? 何そのカード知らん
あんだけアニメ版やらコミカライズ版やらで実在の大アルカナ出しておいて、オリジナルタロット出すの!?!??!??!?!?!?!??!
ぶっちゃけこれでこの考察は破綻を迎えたと言っても過言ではありません。アーーーー!!!
いやでもまあ……いったんこのカードの存在は措いておきましょう。うん。さすがに存在しないカードの考察はできません。
(もちろん「悪魔」とか「皇帝」とかこじつけようと思えばいけるのかもしれませんが、それはこの記事の趣旨と合いませんので……)
前半のまとめ:愚者の旅路
以上、ヒナちゃんが愚者たる理由を考察してまいりました。
アイリとは別の意味で物語の鍵を握るヒナリアは、ゼノンザード全体においてもキーパーソンです。
そのキーパーソンたる資格を、ヒナリアは自身のストーリー章タイトルでも、そこに暗示されるタロットにおいても、証明しているといっても過言ではないのかな、と思います。
この際シナリオライターがどういうつもりだったかは関係なく、そう考えるとオタク的に嬉しい!ってことね!!!(ヤケクソ)
さて、問題は次回に考察する同担拒否故障ピエロなのですが、
丁寧に考えると 意外とヒナとの共通点があったり、ヨルスケの抱える根本的な問題がわかったりする……ような気がします。
ぜんぜん隠者っぽくない隠者の道行きとは。
(次回:いずれ更新)